もともと短気だし、些細なことで感情が変化するから自分に疲れることが多い。
昔と比べるとずいぶんマシにはなったけど、それでも生理現象のように100%はコントロールできないけど。
他人が一瞬イラっとした場面も、(あ...いまイラっとしたな...)と感じ取ってしまい、すごく申し訳ない気持ちになり、でもそういうときって何しても相手はイライラしているから、今日人と会うんじゃなかったと思ったり、人間と関わるのって難しいし面倒だなと思ったりする。
そして、そんなこと思う自分にイライラしたり絶望したりしてまた疲れる。
ラオスに来てからそんな風に思うことが少なくなって、だから日本にいた時に如何に他人に気遣い顔色をうかがい、疲弊していたことに気が付いた。
ラオス人もだし、こちらに住んでいる日本人もだけど、わりと素直な感情で生きている人が多いような気がする。
だから、お互いにあまり気にしない。
人としての適度な距離感は保ちつつ、深読みしすぎない。
「なんでもいいよ」と言いつつ何でもよくない、そしてそれを態度に出されるのが非常に苦手で、申し訳ない気持ちでいっぱいになるので、そういう人が多かった日本の環境が疲れるんだと思う。
自分の意見をはっきり伝えず空気を読んでよっていう圧力。
ラオスにいるときは、それをあまり感じない。
だから生きやすいんだと思う。
違う意味でイライラすることはあるけど。
昔、今の会社に勤める前。
ラオスで初めて働いた会社で、日本人の同僚に「日本の空気を出さないでほしい」と言われたことがある。
その時は何のこと言っているかわからなかったし、それまでは日本でしか働いたことがなかったから、日本の空気というものがどんなものか全くわからなかった。
いまだになぜそんなことを言われたのか、なぜ無視されたりキツく当たられなければならなかったのか、今でもそれは理解できないけど、きっと彼女は日本から来た日本の働き方しかできない日本の思考を持つ私のことが不快だったんだろうな。
たぶん、うっとうしかったんだと思う。
今は、ほんの少しだけ、彼女の気持ちがわかるような気がする。
(だからといって、当時されたことは今でも許せないけど)
私が初めてラオスに来たのは、2017年。
そこから3年半働いて、コロナで給料がほとんど出なくなり生活が難しいと判断して2020年の年末に帰国。
3年ほど日本で働いたのち、やっぱりラオスで働きたいと思って2024年に戻って来た。
ラオスから日本に戻ったからこそ、見えるものがたくさんあった。
32年間、ずっと日本で暮らしてラオスへ渡ったとき、日本で窮屈な思いをしていたことに気が付いた。
毎朝、起きた時に、今日が来てしまったと絶望を感じることがなくなった。
今までずっと、毎日、朝起きた瞬間が一番最悪な気分だった。
感情に名前を付けるのは難しいけど、「絶望」が一番それに近い。
だから、ラオスに来て生活を始めて、朝起きた時に嫌な気持ちで目覚めることがないことに驚いたし、(あぁ、普通の人はこんな風に一日を始められるんだな)と思った。
――何かわからないけど気分がいい
そんな感情を持ったのは、大人になってから初めてだったかもしれない。
ラオスに来てからは順風満帆というわけではないが、すくなくとも日本にいた時よりはマシだった。
それからいろいろあって日本に本帰国したわけだけど、再び圧力を感じることになる。
本帰国してからいろいろな仕事をしたし、どの職場にもいい人がいて、とても親切にしてもらった。
金銭的に困窮はしたが、それなりに楽しく働いた。
でも、どうしても、何かが嫌だった。
今考えてみると、自分が気を遣いすぎて疲れてたんじゃないかなと思う。
友達もたくさんできたし、職場でも仲良くしてもらって本当に楽しかったけど、日本で生活することに心の自由がなかったように思う。
「〇〇しなければならない」っていう、自分の気持ちとは関係なく、こうしなきゃ、ああしなきゃ、相手を不快にさせてはいけない、常に愛想よくしなくちゃいけない、みたいな。
たぶん、日本にいたら普通のことだし、みんなやってること。
でも、ラオスに行かなければ知らなくてよかった。
ラオスへ行き日本に戻ったから、比較してしまうようになった。
気にしすぎる私の性質が問題だと思うけど、「お腹空いた」とか「トイレ行きたい」とか、生理現象と同じようなものだからマシにはなったけど100%コントロールするのが難しい。
だから、私には日本ではなくラオスで暮らす方が合ってるんだろうなと思った。
前回の、1回目のラオス移住では、漠然と将来への不安があって。
いつかは本帰国するんだろうけど、私はいつまでラオスにいるんだろう?とか、このままでいいのかな?とか、そんなことを考えていた。
あと、結婚したいけど相手がいないっていう悩みも抱えてた笑
今思うと、本当に覚悟が足りなかった。
そんなだから、前職の日本人同僚にも嫌われたんだろうな。
今は、もう日本に戻りたい気持ちはない。
実家が建て替えをして、両親と一緒に姉家族が住んでいるので、帰るところがないというのもあるし、たぶん日本に帰ったらまたつらい気持ちになることが分かっているから。
(ちなみに、もう結婚したいとも思わない。ひとりが自由で楽しくてよい)
一時期国でたまに帰るのは楽しい。
でも、たぶんこれからも日本以外の土地で暮らす方が、私には合ってるんじゃないかなと思う。
ラオスで暮らして、まだ数年しか経っていないけど。
たまにものすごく落ち込むこともあるけど。
でも、私が生きたいと思えたのは日本ではなかったので、たぶんこのまま本帰国はしない気がする。
1回目の移住で持っていなかった「死ぬまで本帰国しない」っていう気持ちを持ったら、少々不便なことがあっても気にならなくなったよ。
きっとこの気持ちが覚悟と言われるものなのかなぁと思ったり。
分からないけど。
ラオスで暮らし始めて、生きていて楽しいと、心から思えるようになった。
人生で動けるのが80年だとしたら、あと半分しかない。
やりたいことが多すぎて、自分の体も時間も足りない。
お金も必要だから、できれば給料は倍以上あげてほしいし、ラオス国内を旅したいので休日も増やしてほしい。
ラオスで暮らし始めてから好奇心が生き返ったので、どんどんいろんなことに挑戦していきたいと思っている。
これは、この前ラオス人の友達の家に泊まり翌日一緒に作った料理たち。
とっても美味しかった!
==================
ランキングに参加しています。
面白い!ためになる!と思ったら以下クリックしてもらえると喜びます。

お引越し前のブログはこちら
気ままに海外生活★ラオスでOLはじめました。
昔と比べるとずいぶんマシにはなったけど、それでも生理現象のように100%はコントロールできないけど。
他人が一瞬イラっとした場面も、(あ...いまイラっとしたな...)と感じ取ってしまい、すごく申し訳ない気持ちになり、でもそういうときって何しても相手はイライラしているから、今日人と会うんじゃなかったと思ったり、人間と関わるのって難しいし面倒だなと思ったりする。
そして、そんなこと思う自分にイライラしたり絶望したりしてまた疲れる。
ラオスに来てからそんな風に思うことが少なくなって、だから日本にいた時に如何に他人に気遣い顔色をうかがい、疲弊していたことに気が付いた。
ラオス人もだし、こちらに住んでいる日本人もだけど、わりと素直な感情で生きている人が多いような気がする。
だから、お互いにあまり気にしない。
人としての適度な距離感は保ちつつ、深読みしすぎない。
「なんでもいいよ」と言いつつ何でもよくない、そしてそれを態度に出されるのが非常に苦手で、申し訳ない気持ちでいっぱいになるので、そういう人が多かった日本の環境が疲れるんだと思う。
自分の意見をはっきり伝えず空気を読んでよっていう圧力。
ラオスにいるときは、それをあまり感じない。
だから生きやすいんだと思う。
違う意味でイライラすることはあるけど。
昔、今の会社に勤める前。
ラオスで初めて働いた会社で、日本人の同僚に「日本の空気を出さないでほしい」と言われたことがある。
その時は何のこと言っているかわからなかったし、それまでは日本でしか働いたことがなかったから、日本の空気というものがどんなものか全くわからなかった。
いまだになぜそんなことを言われたのか、なぜ無視されたりキツく当たられなければならなかったのか、今でもそれは理解できないけど、きっと彼女は日本から来た日本の働き方しかできない日本の思考を持つ私のことが不快だったんだろうな。
たぶん、うっとうしかったんだと思う。
今は、ほんの少しだけ、彼女の気持ちがわかるような気がする。
(だからといって、当時されたことは今でも許せないけど)
私が初めてラオスに来たのは、2017年。
そこから3年半働いて、コロナで給料がほとんど出なくなり生活が難しいと判断して2020年の年末に帰国。
3年ほど日本で働いたのち、やっぱりラオスで働きたいと思って2024年に戻って来た。
ラオスから日本に戻ったからこそ、見えるものがたくさんあった。
32年間、ずっと日本で暮らしてラオスへ渡ったとき、日本で窮屈な思いをしていたことに気が付いた。
毎朝、起きた時に、今日が来てしまったと絶望を感じることがなくなった。
今までずっと、毎日、朝起きた瞬間が一番最悪な気分だった。
感情に名前を付けるのは難しいけど、「絶望」が一番それに近い。
だから、ラオスに来て生活を始めて、朝起きた時に嫌な気持ちで目覚めることがないことに驚いたし、(あぁ、普通の人はこんな風に一日を始められるんだな)と思った。
――何かわからないけど気分がいい
そんな感情を持ったのは、大人になってから初めてだったかもしれない。
ラオスに来てからは順風満帆というわけではないが、すくなくとも日本にいた時よりはマシだった。
それからいろいろあって日本に本帰国したわけだけど、再び圧力を感じることになる。
本帰国してからいろいろな仕事をしたし、どの職場にもいい人がいて、とても親切にしてもらった。
金銭的に困窮はしたが、それなりに楽しく働いた。
でも、どうしても、何かが嫌だった。
今考えてみると、自分が気を遣いすぎて疲れてたんじゃないかなと思う。
友達もたくさんできたし、職場でも仲良くしてもらって本当に楽しかったけど、日本で生活することに心の自由がなかったように思う。
「〇〇しなければならない」っていう、自分の気持ちとは関係なく、こうしなきゃ、ああしなきゃ、相手を不快にさせてはいけない、常に愛想よくしなくちゃいけない、みたいな。
たぶん、日本にいたら普通のことだし、みんなやってること。
でも、ラオスに行かなければ知らなくてよかった。
ラオスへ行き日本に戻ったから、比較してしまうようになった。
気にしすぎる私の性質が問題だと思うけど、「お腹空いた」とか「トイレ行きたい」とか、生理現象と同じようなものだからマシにはなったけど100%コントロールするのが難しい。
だから、私には日本ではなくラオスで暮らす方が合ってるんだろうなと思った。
前回の、1回目のラオス移住では、漠然と将来への不安があって。
いつかは本帰国するんだろうけど、私はいつまでラオスにいるんだろう?とか、このままでいいのかな?とか、そんなことを考えていた。
あと、結婚したいけど相手がいないっていう悩みも抱えてた笑
今思うと、本当に覚悟が足りなかった。
そんなだから、前職の日本人同僚にも嫌われたんだろうな。
今は、もう日本に戻りたい気持ちはない。
実家が建て替えをして、両親と一緒に姉家族が住んでいるので、帰るところがないというのもあるし、たぶん日本に帰ったらまたつらい気持ちになることが分かっているから。
(ちなみに、もう結婚したいとも思わない。ひとりが自由で楽しくてよい)
一時期国でたまに帰るのは楽しい。
でも、たぶんこれからも日本以外の土地で暮らす方が、私には合ってるんじゃないかなと思う。
ラオスで暮らして、まだ数年しか経っていないけど。
たまにものすごく落ち込むこともあるけど。
でも、私が生きたいと思えたのは日本ではなかったので、たぶんこのまま本帰国はしない気がする。
1回目の移住で持っていなかった「死ぬまで本帰国しない」っていう気持ちを持ったら、少々不便なことがあっても気にならなくなったよ。
きっとこの気持ちが覚悟と言われるものなのかなぁと思ったり。
分からないけど。
ラオスで暮らし始めて、生きていて楽しいと、心から思えるようになった。
人生で動けるのが80年だとしたら、あと半分しかない。
やりたいことが多すぎて、自分の体も時間も足りない。
お金も必要だから、できれば給料は倍以上あげてほしいし、ラオス国内を旅したいので休日も増やしてほしい。
ラオスで暮らし始めてから好奇心が生き返ったので、どんどんいろんなことに挑戦していきたいと思っている。
これは、この前ラオス人の友達の家に泊まり翌日一緒に作った料理たち。
とっても美味しかった!

==================
ランキングに参加しています。
面白い!ためになる!と思ったら以下クリックしてもらえると喜びます。



お引越し前のブログはこちら
気ままに海外生活★ラオスでOLはじめました。
コメント
コメント一覧 (2)
現在「精神障害者」は600万人(NHK).
Asuka@ラオスに住む猫好き
会社員
が
しました
コメントくださりありがとうございます。
潜在的に精神に問題を抱えている方も多いと、思います。
ラオスに来て気がついたことのひとつです。
Asuka@ラオスに住む猫好き
会社員
が
しました